MANTRA – 序説

翻訳者による前文

この文章は「Stockhausen-Verlag」から出版されたテキスト

K. Stockhausen: TEXTE zur MUSIK 1984 – 1991 ( Stockhausen-Verlag, Kürten, in German )」から

「Vol. 9: About LIGHT – Composer and Interpreter – New Era (MANTRA -Einführung, 335-360p)」の全訳です。

「MANTRA」は「フォルメル技法」の本格的な始まりを示す重要な作品であり、

その技法は後の大作「Licht」を生み出すことになります。

本文章は「MANTRA」で見出されたフォルメル技法を説明する上で非常に意義深く

その語り口の明瞭さと内容の深さにおいても大変素晴らしいものです。

シュトックハウゼンの音楽観も垣間見ることが出来ます。

翻訳掲載の許可をSuzanne Stephens女史とKathinka Pasveer女史にお願いしたところ、快く許諾をしてくださいました。

この場を借りて、両氏に心より感謝申し上げます。

※本訳文の著作権は「Stockhausen-Verlag」と、翻訳者である「小林雄紀」に帰属します。

※本訳文を使用する際は「Stockhausen-Verlag」と「小林雄紀までご連絡ください。

原著、あるいはその他のシュトックハウゼンに関する書籍は「The Stockhausen-Verlag Books

「MANTRA」の公式全集CDは「https://www.stockhausencds.com/」あるいは、下記アルバムジャケットのリンクから購入することが出来ます。

なお、この「序説」と似た内容のレクチャーとして「Stockhausen Films : DVD No. 18」も発売されています。

こちらは部分的により詳しく説明されている部分もあり、かつ大きなホワイトボードを使った説明や実演を含んでいるので、「MANTRA」をより感覚的に体感できおすすめです。

質疑応答なども含まれており大変に内容が充実しているので、この序説で「MANTRA」に興味を持たれた方は是非チェックしてみてください。

若き日のロジャー・ウッドワード(Roger Woodward)がピアノを担当しているのも興味深いですね。

詳しくはシュトックハウゼン公式ウェブサイトをご確認ください。

公式全集のCDのジャケットは本翻訳を読む際に非常に有用ですので、ぜひジャケットを見ながら本文をお楽しみください。

MANTRA – 序説

(1991年3月10日の午後、ギュータースローの市立ホールで行われた「2人のピアニストのためのMANTRA」に関する講演。この週は4度にわたりシュトックハウゼンのコンサートが行われ、公開リハーサル、音楽付きの2つの講演、シュトックハウゼン作品に関する展示会の開会式も開催された。講演はアレクサンダー・シュヴァンがテープから文字おこしを行い、シュトックハウゼン本人が1993年に出版用に編集した。)

こんばんは!皆さんがこんなに集まってくださり大変嬉しく思います。
外は今とても美しい天気です。私はちょうど太陽の下を歩いてきて思いました。外で陽光を浴びている方が、

「音」や「MANTRA」についてのシュトックハウゼンの話を聞きに来るより魅力的でしょう、とね。
どうか前方へお詰めください。遠くに座っていても意味がありませんよ。

[後ろの列の聴衆が前に移動する。]

今回の講演にあたり、私は次のことを計画しました。まず、「MANTRA」という言葉についていくつかお話致します。次に、マントラの音楽形式についての説明 – メロディーの説明、リズムの説明、このマントラの二声構成に関する説明 – をします。その後、サウンドコンポジションに関する説明をします。
2人のピアニストのための作品「MANTRA」は、通常のピアノの音だけでなく、変調されたピアノの音で構成されているからです。
例を演奏するのはすでにここに待機している2人のピアニスト、「陳必先 (ピ・シェン・チェン)」と「ピエール=ロラン・エマール」です。

マントラとその構成に関する説明の後、このマントラが最初にどのように展開されるかを聴いていただきます。
その展開とは、時間の中でマントラが拡張され、それ自体と組み合わされる方法です。

私が — この数日間、ここで皆さんが体験された多くの作品のように — 新しい音響作品を聴かせるとき、つまりそれはその創作と完成の時をもって、もはや私だけに関わる私的な事柄ではなくなります。その結果はすべての人々に奉仕し、すべての人々が利用できるものとなるのです。
私は何かを発見し、形作り、それが完成し良いものであるという確信を持ってから、作品を世に送り出します。それは毎回、私が以前に音楽として理解し知っていたものの本質的な拡張でなければなりません。そうして、私はそれを自分から手放します。
私がこれから説明するものは、私が所有しているものではなく、私の人格や存在とは無関係に、客観的で純粋に精神的な形態として発見され、形成されたものです。

さて、「MANTRA」の作曲について説明しましょう。
作曲当時、私はさまざまなタイトルを考えました。しかしながら、次のプロセスを表現する適切な言葉を我々の言語の中から見つけることが出来ませんでした。そのプロセスとは、あるかたち(Gestalt)の作曲と、そのかたちのみから派生する大規模な形式を構築することです。
私たちの伝統には近似したものしかありません。例えばイソリズム・モテットでは、既知の旋律である定旋律(カントゥス・フィルムス)を分割・延長・短縮することにより大きな形式を構築しました。
それから、ご存知の通りバロック時代の例として、J.S.バッハの「フーガの技法」と「音楽の捧げ物」の一部があります。両方とも、一つのテーマからそのテーマだけを使用して大きな作品を作る試みがなされました。
古典派にもその影響が見られ、特にベートーヴェンのピアノソナタの中には、主題を展開し、変容させることで長い展開部を形成する作品があります。ベートーヴェンは、同時代の作曲家たちよりも主題に忠実であり続けました。しかしながら、これは過渡期的現象に過ぎず、彼以降の音楽においては、連想的なアイデアによる組曲や変奏曲が再び主流となります。

20世紀の初めに、ハウアー(Josef Matthias Hauer)、シェーンベルク(Arnold Schönberg)、ヴェーベルン(Anton Webern)などのいくつかの作曲家が14世紀、15世紀、そして16世紀の作曲方法に戻り、インドのラーガやターラを思い起こさせるトロープスや音列を用いて作曲しました。
ラーガは旋律的な音階において、ターラはリズム構造において、インド音楽では普遍的な意義を持っています。なぜなら、それらは特定の感情、時刻、季節、神々と結びついているからです。
ラーガは非常に明確な精神的意味があり、したがって特定の音列と、特定のリズム配列があります。

これは、ヨーロッパのイソリズムのモテットを作曲した作曲家たちにおいて、転用された形で見られます。彼らは、色彩(メロディーの部分)とタレア(リズムが固定された部分)を用いて、より大規模な作品を作曲しました。
この音楽は、インドの伝統に対して、ヨーロッパが再考を行っているかのように感じられます。
セリー音楽は20世紀半ばに音列作曲法の発展形として始まりました。作曲のために、特徴的な性質、統一された内部構造を持つ音高の列が形成されました。それは、人間の遺伝子マトリックスに例えられる特性と比較することが出来ます。
そこから、元の音列のあらゆる変容を通じて有機体を展開させたのです。
私の世代はこの作曲原理を継承し、さらに発展させました。

「MANTRA」という言葉は私たちの言語圏からではなく、インドから来ています。私はフーガのように主題、音列、主唱といった既存の言葉を避けたかったのです。なので、似たような意味を持ち、より精神的な意味合いを持つこの言葉を選びました。
「MANTRA」とは一般的に、異なる速度、異なる強度で繰り返される音または音節の連なりを意味します。それは外的に聴覚化されるだけではなく、内的に瞑想されるものです。そのような音の連続に集中することで、より深い聴取と意識の状態に入っていきます。私の作品「MANTRA」は、ヨーロッパ風の瞑想音楽であるとよく言われますが、それは確かにその通りです。
「瞑想」という言葉はしばしば誤用されています。「MANTRA」は1970年に書かれました。「私は瞑想している」というのは、ただ座って何も考えずにぼんやりしているという意味ではなく、最高の精神集中の状態で一つのことに集中していることを意味します。例えば、特定の音列に集中することです。集中することで、私は純粋に、そして完全に意識的になります。

では、作品の基盤となる「マントラ」を演奏しましょう。作曲開始の随分前、車中で封筒に書き留めた後、推敲を重ねました。
マントラは12の音で構成され、それはA音から始まります。それには理由があります。
Aは基準音ですからね。
まず、リズムを除いた音高をお見せしましょう。マントラの最初の肢(部位)はAから始まります。
(訳注:「肢」は原文ではGlied(独), Limb(英)。以下「肢」の部分は「部位」と訳す。)
[シュトックハウゼンがピアノで次の例を演奏する]

その後、休符が続きます。

次に、2番目の部位を演奏します。

その後、2番目の休符が続きます。

1番目の部位は4つの音と休符、2番目の部位は2つの音と休符を持っています。

3番目の部位は再び4つの音と休符を持っています:

4番目の部位は3つの音と休符を持っています:

最後の音Aで再び開始音に回帰します。

4つの部位を順番に:
第1部位: A – H – Gis – E;
第2部位: F – D;
第3部位: G – Es – Des – C;
第4部位: B – Ges – A

これらは1オクターブ内の12の半音であり、13番目の音は最初の音と同じです。

全体が円環を形成しています。
重要なのは、各音の間隔が明確に異なることです。

音程を聴いてみましょう:

 上昇する長2度

上昇する長6度

(比較的大きな跳躍)

下降する長3度

上昇する短2度

下降する短3度

上昇する4度

下降する長3度(2回目)

下降する長2度

(最初は上昇していましたね

)

下降する短2度

再び下降する長2度

下降する長3度(3度目)

上昇する短3度

(訳注:本来は増2度と記載するべきであるが、音の間隔という点において「短3度と同等」

と表現したのだと推察する)

したがって、各部位は多様な音程を含んでいます:

・上行・下行する短2度
・1つの上行と2つの下行する長2度
・下行・上行する短3度
・3つの下行する長3度
・上行する完全4度
・上行する長6度

持続時間 — リズム

マントラの4つの部位は、体の四肢に例えることができます。私はこの種のマントラをフォルメル(Formel)とも呼びます。「MANTRA」(1970年)以来、私はフォルメルを使って作品を制作しています。各作品には新しいフォルメルが存在しています。

1977年以来、私は一つのフォルメルを使って7部構成の大作「LICHT」を作曲しているところです。

これまでにそのうちの4部が完成しています。(訳注:1991年当時、2003年に完成)

この間、私は常にこのフォルメルだけを使って作品の制作を行っています。

次に、マントラの4つの部位の音の持続時間を説明します。

第1部位の4つの持続時間は、緩やかな時間単位で数えると、以下の通りです:

その後、3拍休符が続きます:

第2部位は、それぞれ1拍分の2つの音を持ち、3回繰り返されます。
しかし、3回目は2つの音にリズム上の差異が見られます:

その後、2拍分の休符が続きます:

第3部位の4つの音は、それぞれ異なる持続時間を持っています(4番目の音の繰り返しにより、5つの異なる持続時間が生じます):

その後、1拍分の休符が続きます:

第4部位の演奏の持続時間は:

これらの持続時間 4 — 2 — 6 は、2 : 1 : 3 の比率を持っています。
その後、4拍分の休符が続きます:

4つの部位は次のように構成されています。第二の部位を除いて、各部位内の個々の音の持続時間が異なり(これにより音に強弱が生まれます)、
具体的には以下の通りです。
第1部位:1+2+3+4 = 10拍分に加え、3拍分の休符が置かれる;

第2部位:1+1+1+1+1½+½ = 6拍分(最後の比率は3 : 1)に加え、2拍分の休符が置かれる;
第3部位:5+2+1+3+4 = 15拍分に加え、1拍分の休符が置かれる;
第4部位:4+2+6 = 12拍分に加え、4拍分の休符が置かれる。
したがって、各部位の持続時間も、
10, 6, 15, 12拍分とそれぞれ異なり、休符の長さも同様に3, 2, 1, 4拍分となります。
これが、この「マントラ」またはこの「フォルメル」の骨格におけるその音高とその長さです。

運動の方向性

次に、このフォルメル
— 明確に区切られ、音程が豊富で、美しい円を形成する —
が運動形式としてどのように特徴づけられているかを聴いてください。
まず、強く上昇し、軽く下降します:

次に、やや上昇し、軽く3度上下に揺れます:

その後、少し上昇し、かなり下降します:

再び下降し、最後に開始音高を下回るまで下降し、その後最初の音高まで上昇します:

このような運動形式の方向の流れは、図として見てみると把握しやすいです:

音の形

さらに、各音を人間であるかのように形作るというアイデアがありました。
第1音は、周期的な始まりを持っています:

これは、こうした特徴的な始まりを持つ音から、すべてが周期的な始まりを持ち、したがって明確に識別できるさまざまな音の連なりを作曲できることを示しています。

第2音は、終わりにアクセント — 尾としてのアクセントを持っています(音には身体と尾があります):

これにより、各音が終わりに鋭いアクセントを持つさまざまな構造が生まれます。

第3音は、普通の音です:

ただの打鍵を持ち、その特徴は細分化を伴わない点にあります。

第4音は、音が立ち上がる前の装飾的な導入過程を持っています:

それを装飾する始めの音の数(ここでは4つの音)は自由に変えることが出来ます。
特徴的なのは、その導入を形作る速い旋律的なフレーズです。

次の2つの音 — 第5音と第6音 — は、ゆっくりとしたトレモロのように形作られています。
トレモロは通常、2つの音の間の速い往復運動です。
しかし、本例では個々の音をはっきりと認識できます:

2回の同じ持続時間:

そこに、不規則性が続きます:

第7音は、第2音の終端のアクセントとは対照的に「始まりにアクセント」を持っています:

この頭のアクセントがその特徴です。

第8音は、前音との間に半音階的なつながりを持っています:

第9音は非常に短い持続時間(スタッカート)を持っています:

第10音は、不規則な繰り返しによって細分化されています:

このような音は、作曲の過程で多くの「モールス信号的」リズムの豊富さを生み出します。

第11音は、最小のトリルの形を持っています:

第12音は、鋭いアタックとエコーを持っています:

(これに対応するのはほぼこれと同じです)

第13音は、先行して打鍵された音アルペジオによってつながっています:

このように、13の音型、13のキャラクターが、まるで異なる人物のように存在します。
このマントラの形から、作品全体が13の大きなサイクルで形成され、13の音から展開されます。
これらのサイクルそれぞれにおいて、1つのキャラクターが支配的になります。

二声性

さらに説明したいことがあります。

このマントラは単旋律であるだけでなく、4つの部位において二声の性質を持っています。
私はこのマントラを鏡像化しました — すなわち逆行させ — 1オクターブ低く、同じくAの音から始めました。

鏡像化された部位の持続時間は、原形のマントラに合わせられており、和声的な理由からいくつかの小さな変更を加えました:

マントラの第1部位は、下声部で第2部位の鏡像と組み合わされています:

第2部位は、下声部で第1部位の鏡像と組み合わされています:

第3部位は、下声部で第4部位の鏡像と組み合わされています:

第4部位は、下声部で第3部位の鏡像と組み合わされています:

これで、13の音型、休符、2つの声部を持つ完全なマントラを聴くことができます。 そして、2つの声部がどのように内部で関連付けられているかを理解できます。

[完全なマントラ 3-9小節を演奏する]

このマントラから、約70分の長さの作品を形成しました。それは、成長し、開花する種のようなものです。 この70分の中には、マントラの要素ではない音符は1つもありません。

時間の変形(時間の拡張と圧縮)

では、このマントラに何が起こるのでしょうか?それは(元の時間単位、つまり1秒で)マントラは60秒続きます。

時折、元の長さの2倍、4倍に拡大されます。

その結果、マントラは、例えば約2分、または約4分かかるようになります。

同様に、圧縮もされます。半分(約30秒)、4分の1(約15秒)、8分の1(約7秒)、16分の1(約3秒半)になります。

リズム上の拡大と圧縮は絶えず起こり、家系図の世代のように、マントラがそれ自体と同時に組み合わされる大形式として予め定められています。

例えば、2 : 1 – 4 : 2 : 1 – 8 : 4 : 2 : 1などです。 さまざまなリズム上の圧縮と拡張の中で、マントラがそれ自体と組み合わされます。

空間的な拡張と圧縮

私たちは、1オクターブ内のすべての半音を使った一連の音を扱っています:

A – H – Gis – E – F – D – G – Es – Des – C – B – Ges – (A)

私は、メロディーにも拡張と圧縮を適用しました。 したがって、第1部位

を単に奏でるのではなく、これらの音程を12の異なる大きさに拡張します。

最初の音程

から短3度

になると、他の音程もそれに応じて変化します:

から次のような系列が生まれます:

最大の拡張は次のように聞こえます:
オリジナル形式の第1部位

から

になります。

第2部位では、

の代わりに、極端に拡張された

になります。

第3部位では

から、

が生まれます。

第4部位の

は、

になります(第2音を上に移調しました)。

このように、マントラは時間だけではなく、空間でも拡張と圧縮が行われます。
そしてマントラは、時間と空間の最小単位に応じて、さまざまな変形を経ていきます。

サウンドコンポジション

最後に、「MANTRA」を理解する上で重要なことについて説明します。1951年以降の私のすべての作品と同様に、私は、唯一の比例なき独自の音響世界を構成しようと試みてきました。2台のピアノのための作品を構想する過程で、私は電子音楽での経験を活用しました。
伝統的な楽器の音も、いわゆるリングモジュレーターによって変容することができます。
ここで、「MANTRA」の音響構成の基本原理を説明しましょう。

ピアノの音はそれぞれ、2つのマイクで収音され、各ピアノ専用のリングモジュレーターに送られます。これらの装置には、2つの正弦波発信器も接続されており、ピアニスト自身により正弦波振動数を設定および調整します。これらの正弦波は直接聞こえませんが、演奏される音に特殊な方法で反映します。リングモジュレーターは、入力された音の和と差を生成し、元の音を抑制するのです。

[シュトックハウゼンが次の例を実演する。]

例えば、A = 220 Hzの音を演奏し、正弦波発振器で同じ周波数、つまり1秒あたり220回の振動を設定すると、スピーカーからはそのオクターブ上の440 Hzが聞こえます。つまり、発振器で220 Hzを設定し、ピアノで220 Hzを演奏すると、和は220 + 220 Hz = 440 Hz、差は220 – 220 = 0 Hzとなり、原音に加えてオクターブ上の440Hzが鳴響するのです。
音が自身の周波数で変調されると、比較的純粋な響きが持続します。正弦波発振器でA = 220 Hzを設定し、完全5度上のEの音を鳴らすと2つの周波数の基音を生みます。つまり2:3の音程に対応する220:330 Hzは、330 – 220 = 110 Hzと330 + 220 = 550 Hzを生成し、これにより第5倍音、つまりオクターブ上の長3度が加わります。したがってピアノ音色に新たな色彩が加わります。ピアノ原音の下方には新たな基音が加わり、上にはその倍音成分が加わります。ここで重要なのは、協和音と不協和音に関する伝統的な経験が再び大切になることです。
つまり、[各例が実演される]

自己リング変調された音は、自身のオクターブを生成します:

完全五度は、基音を1オクターブ下げ、第5倍音である上のオクターブのCisを生成します:

完全四度、すなわち3 : 4という次に調和的な音程は、4 – 3 = 1(上側の音の基音が2オクターブ下に)と、

3 + 4 = 7(短七度)を生み出します:

調和的な音程の進行をお聴きください:

次に、より不協和な音程が現れます(最も鋭い不協和音である短二度と長七度)

このようにして、半音階の各音程に対してリング変調を施すことにより、一連の色彩を得ることが出来るのです:
[シュトックハウゼンが、正弦波をA = 220 Hzに設定して半音階を演奏する。]

第1ピアノでは、最初のセクションで正弦波の高さはA [演奏]:

2番目のセクションではH [演奏]:

3番目のセクションではGis [演奏]:

など、マントラの元の順序に従います。

第2ピアノでは、これらの音程が鏡像形式で続きます:
最初のセクションではA [演奏]:

2番目のセクションではG [演奏]:

3番目のセクションではB [演奏]:

など。

したがって、ピアニストたちは大形式の12の異なる場所で正弦波の周波数設定を変更します。

その結果、12の異なる色彩を持つ和声の場が、独自の領域や気候として生まれます。

これらの変調する音によって決定される異なる和声が、上向きにも下向きにも現れます。私が今弾いている同じAも、

12の設定ごとに毎回異なる響きを持ちます。

[シュトックハウゼンが、12の設定を用いてAの音を演奏する。]

ここで、「MANTRA」の最初のセクションを追い、その構成過程を明らかにできる段階に至りました。

そこでピアニストのお二人にお越しいただき、紹介させていただきます。

「ピ・シェン・チェン(ケルン州立音楽大学ピアノ科教授(訳注:現ケルン音楽舞踊大学))」は、「MANTRA」を何度も演奏しています。

「ピエール=ロラン・エマール」は、パリのアンサンブル・アンテルコンタンポランの常任ピアニストです。

彼らは共に「MANTRA」を演奏しており、共にリハーサルを重ねてまいりました。

ここで、最初のマントラの音の規則的な繰り返しが「第1サイクル」にとって如何に重要であるかを示したいと思います。
序奏 ー すなわちマントラの音程内容を要約する4つの和音 ー の後、Aの音高での反復が続きます。

これは最初の信号として「注意せよ、集中せよ」という意味を持ちます。

続いてマントラが現れます。マントラの後、一旦中断し続きを説明します。
本作は、第2ピアノによるウッドブロックのアクセントで始まります。

[ピアニスト達は11小節の1拍目まで演奏する。]

アンティークシンバル(Cymbale antique)で演奏される2番目の信号が「第1サイクル」の始まりを示します。
シンバルもまた、マントラの音高を使って2人のピアニストの13のサイクルを示しますが、それらは同一というわけではありません。13のサイクルが上向きと下向きに始まる接点は、第1ピアノ(ピ・シェン・チェン)ではマントラの音高によって、第2ピアノ(ピエール=ロラン・エマール)では鏡像によって明確にされます。また、シンバルの打撃がより多く現れるセクションもあります。

ここで、2人のピアニストは「第1サイクル」で、4倍に拡張されたマントラの音を規則的な繰り返しだけで演奏します。
第1ピアノ (ピ・シェン・チェン)から始まり、2台のピアノの間で交互に続きます:

このように、マントラは時間的に大きく拡張され、一方のピアノからもう一方のピアノへと空間的に移動します。

聴衆にとっては、最初は右から左へ、再び右へ、といった具合です。
この拡張の中で、速く規則的な音の繰り返しと同時に、さらに次のことが起こります:

第2ピアノによって演奏される、第2音の特性、つまり各音の終わりにアクセントを持つマントラの表現を感知します。

このマントラは空間的な拡大を表しています。
元の音列:

の代わりに、短3度から始まり、次のように聞こえます:

第1ピアノでは、最大の拡張が続きます。

の代わりに、

から始まります:

12の空間的拡大の範囲は、マントラの各音程に従います。
開始音Aからのより大きな音程は、より大きな拡張範囲を生み出します:

第1ピアノでは、3番目の拡張が続きます。

から、

になります:

これで、2台のピアノはこれらの最初の3つの空間的に拡張されたマントラを、大規模な時間的に拡張されたマントラ(長く規則的に繰り返される音)と同期させて演奏することになります:

空間的な各マントラの拡張は、マントラ自体の順序に従って1つの音型が支配的になっています。
最初の拡張では、終端アクセント(マントラの第2音の特性)を聞き、2番目の拡張では通常の音(マントラの第3音の特性)を聞き、3番目の拡張では音の立ち上がり過程での装飾音(マントラの第4音の特性)を聴きます。

次に、第2ピアノでは4番目の拡張が続きます。

の代わりに

が5つのトレモロ(マントラの第5音の特性)を伴って聴こえます。

第1ピアノでは、5番目の拡張が続きます。

の代わりに、

の音程が現れます。

これはマントラの第6音の特性、つまり同時に打鍵される和音

(マントラフォルメルを思い出してください:                   

)によって、次の8つの和音による投影を特徴づけます:

次の6番目の拡張は

の代わりに、

が聴こえます。
ここでは、12の頭部アクセントを伴う例が聴かれ、これはマントラの第7音の特性を示します(第2ピアノで演奏):

第1ピアノでは、7番目の拡張が続きます。

の代わりに、

マントラの第8音の特性に由来するスケールの中間音を持つ音型が現れます:

   

拡張とは、ある音程の代わりに、より大きな音程が現れることを意味します。

マントラの音程は、1オクターブ内に12の等間隔音を有するいわゆる半音階を基盤としています。

各拡張段階において、私は段階的に間隔が拡大する特殊な音階を構築しました。

これらの音階内の間隔は正確ではありませんが、ほぼ均等になっています。

次の8番目の拡張は

の代わりに

から始まります。

ここでは、マントラの第9音に対応するスタッカートのアタックにより特徴づけられます。
私たちは初めて、1台のピアノからもう1台のピアノへと跳躍するマントラの変形を聴くことになります。
つまり、第2ピアノから第1ピアノへ:

9番目の空間拡張は極めて緩やかで、時間的にも大幅に拡張されています。
その特性は、マントラの第10音に由来する不規則な音の反復で、第1ピアノにおいて、ゆっくりとしたモールス信号として記譜されています(最初の部分のみ提示):

第2ピアノでは、同時に10番目の拡張で

の代わりに音程

が聴こえます。

マントラの第11音から派生した7つのトリルを伴います:

加えて、第2ピアノでは、9番目のマントラの大きな時間的拡張(モールス信号)の投影の中に、11番目の音程拡張が続きます。

の代わりに

から始まります。
マントラの第12音から発展した11のスフォルツァートアクセントによって特徴づけられます:

次のマントラ投影は、これまでの12回すべてのようにAの音から始まるのではなく、マントラの2番目の音

から始まります。

これは、元の形式では、マントラ投影の2番目の大きなサイクル(第2サイクル)の始まりであり、

マントラの第1音の規則的な繰り返しによって特徴づけられます。

ここで、第1サイクル全体を聴いていただきます。
これらは「マントラの始まり」と「11の旋律的拡張」が、「大きな規則的に繰り返されるマントラの時間的拡張」に投影されます。これは、第2サイクルの最初のマントラの投影に至ります。

冒頭で申し上げたように、昔のヨーロッパ音楽において、イソリズムと多声のポリフォニー音楽が生まれました。

これは、異なる層が異なるリズムとテンポを持つ音楽の事です。将来的には、このような音楽がより頻繁に演奏されることを私は願っています。

ポリフォニー音楽の時代の後、音楽が単層化し、1つのテンポと1つの感情が大きな形式の部分を支配する時代が長く続きました。

しかし、高度な芸術音楽は、自然のように多層的です。
自然では、私たちは異なる寿命、生物リズム、体の大きさを持つ生き物を同時に体験します。
これらのテンポ、速度、大きさの同時性は、いくつかの芸術音楽に反映されています。
多層性と時間と空間の多次元性を含み、それによって自然への感覚を敏感にする音楽を再び求める人々が増えるまでには、まだ時間がかかるでしょう。必ずその時は来ると信じています。

さて、ここで「MANTRA」の第1サイクルを聴く際に、私が作曲中に行ったこと、そしてこの作品を「MANTRA」と名付けるきっかけとなったことを行ってください。それはつまり、出来る限り鋭く集中することです。誰もあなたの魂の中を覗くことは出来ません。あなたがどれだけのものを聴き取れるかを。二重、四重、五重の層を聴き、音の特性と拡張を感じ取ろうとしてください —出来れば目を閉じて — 。

[ピアニスト達が「MANTRA」を3小節から66小節まで演奏する。]

この作品には、13のサイクルにわたるマントラの投影だけでなく、私のユーモア、音の豊かさ、速さ、静謐さに応じた何かが表現されることが時折起こります。1人のピアニストがミスをし、もう1人がそれに腹を立て、意地っ張りになります。1人がもう1人をからかい、などなど。つまり、ピアニスト間の説明しがたい関係を露わにする瞬間が現れます。聴衆の皆様には、これに対してそれぞれの感想や思いをお持ちいただければと思います。

ご清聴ありがとうございました。また、朝のリハーサルが非常に長かったにもかかわらず、私たちのために演奏してくれた「ピ・シェン・チェン」と「ピエール=ロラン・エマール」にも感謝します。皆さんにも幸せがありますように。

今夜、席を選ぶ機会があるなら、ホールの中央で聞くことをお勧めします。

なぜなら、2台のピアノが音のパノラマとして目の前に広がるからです。
私の音楽だけでなく、一般的に意味があり重要なことをお伝えできたことを願っています。
では、またお会いしましょう!

「MANTRA」の最後の小節(第2ピアノ)